完成された未完成の芝居 ワークショップ「イッセー尾形と働く人々」リポート

(この記事は2011年に「日経映画・エンタメガイド」(当時)に掲載されたものです)

 

向かい合って座る2人。子会社の社長が本社からの出向社員に「転籍してこの会社に残ってくれ」と言うシーンだ。演じるのは実際の会社員。社長役の言葉に、社員を演じていた男性は「困りましたねえ。帰れると思ってましたから」。

 

すかさず演出家のダメ出しが入る。「現実ではそこまではっきり言わないよね。それだと安っぽいドラマになっちゃう。会社で働いてると、何とも言えない複雑な関係の中にいる。その複雑さを出してみよう」。

 

やりとりを見守る50人ほどの参加者。時に笑い声も起きるが、いつ自分が演じる番になるか分からない緊張感は全員が共有している。社会人が社会人を演じる不思議な空間は、日を追うごとにその熱量を高めていった。

 

◇   ◇
 

2011年7月11日から17日までの7日間、東京・大手町の日本経済新聞社本社で行われたワークショップ「イッセー尾形と働く人々」。これは演劇経験のない人ばかりを集め、数日間の稽古で舞台に上げてしまおうという試みだ。有名な「一人芝居」を共に作り上げてきた、俳優・イッセー尾形氏と演出家の森田雄三氏は、このワークショップを95年から全国で実践している。

 

イッセー氏によれば、これは「イッセー尾形を作った過程そのもの」だという。演劇の理論や技術を身につけるのではなく、自分自身を含む身近な人を演じることが、やがて芝居の形になっていく。脚本は存在せず、稽古を進める中でセリフを紡ぎ上げていく。しかも、そのほとんどは演出家が与えるのではなく、ワークショップ参加者が自分自身の体験から見つけ出し、口にする。

 

今回の参加者は、日本経済新聞電子版の読者から募った。そのためほとんどが現役の会社員という構成。これは数多くのワークショップを積み重ねてきたイッセー・森田両氏にとってもひとつの挑戦だった。これまでは、学生や主婦、リタイアした人などを相手にするケースが多かったからだ。社会人が、この一見荒唐無稽な取り組みをどう受け止めるのか。先の見えない一週間が始まった。

 

稽古初日「このワークショップで作ろうとしているのは、いわば品質不良のもの」

 

稽古の会場は日経本社の2階にあるイベントスペース「SPACE NIO」。普段はセミナーやトークショーなどに使う会場だ。稽古開始の1時間ほど前に会場に現れた演出の森田雄三氏は、まず椅子のレイアウト変更に着手した。「そこもう少し寄せて」「もうちょっと左へ」と細かく指示を出し、正円に近い状態を作る。

 

開始時刻の6時30分が近づき、一人、また一人と参加者がやってきた。椅子は2列になっているが、なるべく前列に座るよう促し、緊張気味の参加者に気さくに話しかける。「ちゃんと会社で働いている人たちに芝居のワークショップなんて、20人も来ればいいと思ってたけど130人も申し込みがあったんだって。これは僕にとっては驚異だし、とってもヘンなことだよ。」「みんなどうして応募したのか知らないけど、ちょっと面白そうとか、サマータイムで夜が暇になったとか、多分軽い気持ちなんじゃない? でも、その軽い気持ちの中に、何か大きなことが潜んでいるかもしれない。それを探す『地図のない旅』なんだよ、これは」。軽妙な語り口のまま、時間が来るとワークショップが始まった。出席者は20代から60代までの男女58人。申込者の約半数だった。

 

「何をどうするか。全く考えてません。会社の仕事は目的があって、やる事を決めて、スケジュール通りに進めていくでしょ。このワークショップは全く逆。まずやることがわからない。確実なものは何ひとつない。作ろうとしているのは完璧なものじゃなく、いわば品質不良のもの。いいものを作ろうとすると、均一化されるからつまらない。社会人にとって大事なことを忘れてみよう、たまにはさ。それが自分を知ることにつながるかもしれない」。

 

森田氏一流の、逆説的だが実は言葉どおり、という話しぶりがさっそく飛び出す。混乱し、不安な表情をする参加者を見て「ほら、周り見渡してみてよ。芝居やりたい人じゃないでしょ!」。会場が笑いに包まれた。戸惑いと笑い。この繰り返しは7日間ずっと続くことになる。

 

突如参加者の一人を指し「あなた、何か話してみて」「……じゃあ自己紹介を」「自己紹介はつまんないよ!」。何かを言うたびに否定される。そしてときどき肯定される。これも毎日繰り返された光景だった。

 

「きょうは暑かったですね」と参加者。今度はその声のトーンに森田氏が注文をつける。「いまの話し方は『社会的』、つまりオフィシャルな声だね。今の声、家に帰って『ただいま』と言うときに使う?」。

 

ある女性参加者が、友人に競馬場に連れて行かれた話を始めた。だんだん声が小さくなってきたところで森田氏が制止した。「はい、あなたはちゃんと仕事している人だね。『社会的』だから、自分の話がつまらない、って分かるし、つまらないから自信がなくて声が小さくなる。でも心配しないで。あなたの話、誰も聞いてない。聞いてると思うから面白くないって思っちゃうけど、家族といるときは、誰も聞いてない下らない話を自信持って話すでしょ。それ思い出してみよう」。社会人としての自分と、そうでない自分。その距離に気付かせようとしているのだ。

 

だから話が面白くないことは否定しない。むしろ、面白くしようとする参加者には容赦なくカミナリを落とす。「なんでオチをつけようとするのかなあ。芸人のマネしてもだめなんだよ」。さらには、演技をしようとすることも否定する。「あなた方は芝居をしなくていい。観客の想像力を使って、芝居にしていくから」。

 

あがり症なのか、顔を赤くして話につまってしまう参加者には「そのままでいいから。それがあなたの魅力なんだから」と声をかける。励ましているのではない。事実そうだと考えている。

 

半分ほどの参加者の話しぶりを見て、森田氏はひとつの発見をした。「なんだかみんな、子供のころに両親と分かれて育った兄妹の会話みたいだな」。会社員の声や表情から、よくわからない苦労を背負い込んでしまっている、という雰囲気を感じとってそう表現したのだ。「なじまない環境の中で生きていて、常に孤立を自覚している。直接感情をぶつけあうケンカは苦手で、何ともいえない優しさを感じる。兄と妹が主役の民話劇を思い出すね」。この「親と別れた兄妹」が、今回のワークショップで最初に生まれたシーンになった。

 

短時間の休憩後、何組かの参加者を兄と妹、あるいは姉と弟に見立てて、会話をうながした。思い出話として出てくるのは、何をして遊んだ、兄のほうがご飯のおかずが多かった、自分の服を勝手に着ていってしまった、などと取るに足らないことばかり。そこに森田氏は満足げにうなずく。

 

ひとつの段階をクリアできたと考えたのか、森田氏は「このシーン、もうちょっと豊かにしたいんだけど何を加えればいいかな」と参加者に問いかけた。試されている、と感じた参加者が自信なさげに回答を口にすると「俺が思いつかないから聞いてるんだよ」。いくつかの意見を聞きながらしばらく考え込んだ森田氏の口から出てきた言葉は「歌とか、どう?」。さっそく会話の中に「歌」を盛り込む参加者。かえるの歌、鳩ぽっぽ……。兄妹の会話からは、なぜか童謡が出てくるようだ。

 

ほのぼのとしたやりとりが続く中、森田氏が妹役の女性に「『子供ががんになったって?』と言ってみて」。会場内の空気が一変する。参加者のリアルな動揺が、そのまま芝居になる。とっさに何か言おうとする兄役の男性の言葉を止める森田氏。長い沈黙が、見る者にさまざまな想像を与える。「歌って」。男性が歌い出したのは、1970年代のフォークソング、ザ・ディランIIの「プカプカ」だった。「俺のあん子は タバコが好きで――」。場違いな歌と、緊迫した空気との違和感が、他の参加者の心に働きかけていく。「泣いて」。女性が声を上げて泣き始める。緊張感、歌、そして泣き声。森田氏の合図でシーンが終わると、この日初めて、大きな拍手が上がった。

 

稽古初日が終了したのは9時過ぎ。最後に森田氏はこう話した。「これは何かを完成させるプロジェクトじゃないからね。未完成をやろうというプロジェクト。だからうまくいくようにしよう、最後までやりとげよう、責任を持ってやろう、というプレッシャーは一切要りません。苦労してやりとげて、みんなで快哉を叫ぶようなものには絶対ならないから。むしろできない自分、無責任な自分を、どう肯定的にとらえるか、というワークショップだと思ってください。そういう意味では、明日はもう来ない、という人がいちばんの理解者かもしれない」。

 

これは会の冒頭に話したことと、さほど変わらない。最初は混乱していた参加者だが、今度はある程度理解している。だがここで終わらないのが森田氏だ。

 

「じゃあ全員手を上げて。はい、みんな同時に『この人やめそうだな』という人を指差して!」

 

大笑いしながら、誰かを指差す参加者。誰が指されたかは問題ではない。2時間半、体験し続けた「その人がどういう人かを想像する」楽しさを再確認した瞬間だった。

 

終了後、帰宅する参加者の一人は「びっくりしました。これから毎日来て、もっとインスパイアされたい」と、森田氏の意思に反して明日も来ることを誓った。

 

稽古2日目「自分がどんな仕事をしているか、分かりにくく話してみて」

 

稽古2日目。参加人数は52人。やや減ったが、森田氏が“期待”したようには減らなかった。初日、参加者に敢えて仕事の話をさせようとはしなかった森田氏だが、開始前に「今日はどんなことを?」と聞くと「今日は少し仕事の話に振っていきますよ」という答えが返ってきた。

 

冒頭、森田氏はこんな話から切り出した。「現代は、なにもかも複雑すぎてわけがわからなくなってる。会社の中でも、憎たらしい社員をののしったり、お茶をかけたりできたのは昭和の話。今は目の前の人を恨むことができなくて、全然関係ない人に気持ちが向かって行ったりする。その複雑さの中に生きているみなさんが、このワークショップにこれだけ集まった。ここにひとつの救いがあるような気がします」。

 

続いて「今日は、まず自分がどんな仕事をしているか話してください」と言うと、参加者の表情にうっすらと安堵の色が浮かんだ。しかし直後にその色は消えうせる。「ただし、分かりにくく話してください。会社名とか、自分は営業だとか、そういうのはなしね」。

 

「私の仕事はパソコンに向かったり、お客さんと話したり……」「まだ分かりやすいな。もっと分かりにくく!」。

 

日常のビジネスシーンとは真逆の要求に大いに戸惑う参加者たちに、森田氏はこう話した。

 

「アルバイトなら、分かりやすい仕事だけをしているかもしれないよ。でも社員になると雑務ばかりするようになる。それはうまく説明できないでしょ。実際には、自分が会社でほとんど説明できないことをしてる、ってことに気付いてほしいわけ」。

 

さらにこの「分かりにくさ」が芝居を生むのだともいう。「分かりにくい説明をすることで、観客は想像力を働かせられる。会社名とか、分かりやすい演技は『記号』になってしまう。芝居の大敵は『こうやろう』と思うこと。何もない、説明できない、というところにいったん自分を置いてみようよ。怖いことかもしれないけど、そこから自分の魅力を出せるかもしれないし、コミュニケーションが成立するかもしれない。ちゃんと働いているあなたたちだからこそ、それができると思います」。

 

なかなか「分かりにくい説明」ができない参加者には、芝居のシーンを提供する。別の参加者を床に寝転がらせ、出社拒否の息子に見立てる。彼をどう叱るか、その中で自分の仕事を語らせてみる。すると「父さんの仕事はなあ、上司に怒鳴られたり、納得できないことも沢山あって……」と、ごく自然に「分かりにくい説明」ができあがる。何かを考えて芝居をするのではなく、芝居によって何かを考えるようになる。参加者はそれぞれ、このワークショップが何をする場なのか、おぼろげにつかみ始めた。

 

その矢先、「じゃあ、今度は逆ね。分かりやすい、いかにもいそうな会社員をそれぞれやってみよう」と反対の課題を出す森田氏。「朝礼ってある? ああ、あなたの会社ではやってる。じゃあやってみて」。「おはようございます。えー、先週は暑かったですが、今週もがんばっていきましょう」と参加者が自分の職場の朝礼を思い出しながら、大きな声で話し出す。すかさず森田氏が「今度は隣の人に仕事と関係ない話をして」。「きょう、時計忘れちゃってさ」「もっとプライベートなこと言ってよ!」「最近、夜中によく起きるようになってさ」「うん、いいね」「それで怖くなっちゃって」「そこまで言っちゃダメだよ」。

 

会社員の務めとして話す時と、プライベートな話をする時とで、声の出し方だけでなく、思いつく話題も変わることに参加者は気付く。森田氏はこう解説した。「社会人になると、自分は悩みがない、と思い込むようになるけど、本当はある。だから夜中に起きたりするわけ。でもそれは自分がとっても豊かだ、ということ。自分の中の弱いところがある。それを無視するんじゃなく、いたわってあげよう。でも内容は言わなくていいよ。客が想像するから」。

 

朝礼のくだりで、ある発表者は「では、社是を唱和しましょう」と3項目を述べ、さらに安全標語「ゼロ災で行こう――よし!」とやった。これが発表会の本番当日、思わぬところで使われることになるとは当人も、森田氏も全く予想していなかった。

 

稽古3日目「ちょっとステージ使ってみよう。でも、芝居はしなくていい」

 

3日目。参加人数は42人。多くが会社員ということで、7日間フルには参加できない人が欠席したのか、あるいはもう来なくなったのか。それはまだ分からない。

 

しかし森田氏も参加者も、日ごとに熱が入ってきていた。定刻より前に「おおい、もう始めちゃっていいかな」とスタートした。初日はどちらかというとプライベートな自分、2日目は仕事寄りの自分に焦点を当ててきた。この日は社内、あるいはもっと広い社会の中での、人と人との「関係性」へと重心が移って行く。

 

転職やリストラ、会社の倒産といった経験のある参加者を前に出し、リストラが言い渡される場面、転籍を進められる場面などが繰り広げられた。実体験が伴っていても、どうしてもセリフを作ってしまう参加者にダメ出しが飛ぶ。そのうち森田氏は「リストラ言い渡す方も大変そうだよなあ。シナリオができていて、その通りに言わされるから」と述べた。発表会本番では、リストラを言い渡す側がカギを握る場面となった。

 

男女が上司に結婚を報告する、という場面も作られた。このあたりから、少しずつ発表を意識した稽古となり、誰と誰を舞台上で組み合わせるか、を試しながら進行していく。その組み合わせを考えたり、記録したり、といった演出補助的な役割を果たしたのは、以前森田氏らのワークショップに参加したことがある柏村武志さんだった。

 

「ちょっとステージ使ってみようか」。稽古の会場となったSPACE NIOには、セミナーなどで使う簡易ステージがある。20cmほどの低いステージだが、そこに立つだけでも気持ちが変わるのだろうか。ついセリフを作りこんで森田氏に怒られる参加者も。「芝居はしなくていい。現実を演じるわけ。俺は現実にはない動きをする役者と一緒に演劇をするのが嫌で、素人と一緒に始めたんだよ。頭で考えてもだめ。準備してもムダ。そろそろそこを分かってほしいなあ」。

 

「結婚報告」の何組目かで、まず花嫁役を決めた森田氏は「この人、年配の相手がいいと思わない?」と、その女性参加者よりぐっと年上に見える男性を花婿役に選抜した。そして上司にも女性を指名。この3人が位置についたのを眺めて「男の人は、実は初婚ね。逆に若い女の人が離婚経験者」と自分の想像を伝える。会話が始まると、上司役が結婚するという2人に「大丈夫なの?」と懐疑的な言葉を次々と口にする。芝居を止めた森田氏は「はい、実はあなたがズケズケ言うのは、あなたがこの花嫁がろくでもない人だって知ってるから。引っかかっちゃった感じがするのよ」。爆笑する参加者一同。「ひょっとしたら不幸な生い立ちでそういう性格になったのかもしれない。だけど年配の男と結婚する、ってことは、きっと何かありそう。だからいろいろ言うんだね」。

 

演出家と演じる側が話し合ったわけではない。森田氏はある意味で勝手に感想を述べ、演じる側もあくまで自分の発想でセリフを放つ。それを繰り返していくうちに、芝居らしい雰囲気になっていく。「はい、これで一個できたね。これでもう舞台上げちゃいますから。楽しいでしょ?」と笑う森田氏に、参加者たちは不安げながらも笑顔を返した。

 

なお、この「一個できた」時に年配の花婿を演じた参加者は、本番でも同じ役を演じることになる。これが、千秋楽の舞台で大変なハプニングを呼ぶのだった。

 

稽古4日目「今日は嫌な人になってみようか。じゃあ、顔を作ってみて」

 

出席者50人。前日より8人多い。日ごとに減っていくと予想していた主催者側の予想は裏切られた。

 

この日、森田氏はもう一度参加者の内面に迫るところから始めた。「俺がよくみんなの欠点について言うけど、分かってほしいのは欠点が魅力だ、ってことね。欠点からその人を探っていこう、ということ。みなさんがちゃんとした人だってことは知ってますよ。会社では、有能さ、空気を読めることを競ってるということも。でもたまには、嫌なところも出してみようよ。そうだ、今日は嫌な人になってみようか」。

 

次々と、嫌な顔や、嫌な口ぶりをする参加者。一見、板についた嫌われ者ぶりを発揮する参加者には「それ、違うね。自分と関係ない、『嫌な奴』を演じてるだけ。パターンに陥ってる」と指摘する。まだ大きな声が出せない参加者には「あなた、みんなより遅れてるの自分で分かるね。それでいいのよ。でも全員舞台に出すからね」と覚悟を促す。だんだんハードルを上げられてきているのは参加者全員が感じ取っている。

 

一通り嫌な人になって休憩。休憩時間はとても和やかだ。あちこちで談笑する光景が見られる。だが、多くの参加者は積極的に「自己紹介」しようとはしない。これは森田氏に言われたからというより、互いの人物を想像し、コミュニケーションしていくことに面白さを感じ始めているからのようにも見える。

 

休憩後は、前日同様簡易ステージを使っての稽古になる。引き続き「嫌な人」だが、ステージに立つとどうしても演技に走ってしまう。これに森田氏がいらだった声を上げる。「それ、つまんないよ。今までこっち(座席)でやってたことをそのままやるの! あなた方の得意技をやればいい。できないことをやろうとしてもできないから。セリフはあんまり考えなくていいよ。どうやったら嫌な感じがするか。それだけ考えて」。

 

そして嫌な人になるために、顔を作ることを推奨する。若者言葉で言えば「変顔」だ。「顔を作ると、楽になるから」という森田氏に、また参加者は当惑する。これまで、このワークショップでは「作る」ことはタブーという空気が流れていたからだ。しかし、確かに顔を作ると、その顔だけでなく、体全体から「嫌な人」を感じ取ることができる。作った顔はあくまで「仮面」であって、仮面そのものには意味がない。その仮面をかぶることで、自分の中にあるものが出しやすくなる。そのための仮面だ。

 

この日、多くの参加者が自分が演じるべきキャラクターをつかんでいった。

 

稽古5日目「見てれば分かるんだよ。普段は会社でもっと大変なことしてるんだから」

 

出席者数はさらに増え、54人に。もうこの大人数で発表会本番に臨むしかない。出演者よりも、主催者側が先に腹を決めることになった。

 

もう本番が明日に迫っており、これまでに出来たシーンを次々と試していく。その人ができない、と見れば即座に交代。丁寧に理由を説明したりはしない。森田氏の口調もより厳しいものに変化してきているが、会場の空気が極度に緊迫しているかというと、意外にそうでもない。

 

実は、変わったのは森田氏の口調だけではない。参加者の側も変わってきているのだ。初日や2日目、森田氏は厳しいことを言う時も目元は優しかったり、発した言葉を笑いに変えてフォローしたり、と、参加者が萎縮しないよう配慮しているように見えた。だが、もう何かを言われた参加者もそう簡単にはひるまない。そして「交代!」の一言でつかみかけた役を降ろされてしまう時も、他の参加者がそれを敢えて笑う。これによって交代させられた人も、余分な負の心理を抱えることなく、次にどうすべきかを冷静に考えることができる。森田氏が初日、椅子のレイアウト変更から始め、こつこつと一人で進めてきた稽古場の雰囲気づくりを、今は参加者全員が担っている。

 

黙ってしまうと「何かしゃべってよ!」。間を置かずに話し出すと「もっと間を取って!」。相反する指示が飛んでも、ひるむことなく喰らいついていく。言葉でなく、手振りで指示を出すこともある。腕をゆっくりと回す動作は「もっと言葉をつなげ」、すっと両腕を広げたら「間を取れ」。説明などしなくても、指揮者のような森田氏の動作と、参加者の気持ちが連動して芝居らしくなっていく。

 

森田氏がこの5日間に発した言葉は膨大な量だ。その全てを理解している人は一人もいなかったかもしれない。稽古終了後、それについて森田氏に水を向けると「見てれば分かるんだよ」と一言。さらに「普段は会社でもっと大変なことしてるんだから」とも。

 

一方、明日に備えて足早に帰ろうとする参加者に話しかけると「見てれば分かるんですけどね。やってみるとなると」という声が返ってきた。別の参加者は「普段、会社にいるのと同じ感じでやればいいのかな」と話した。互いの表情に不安は残るものの、もう森田氏と参加者の心はつながっていたようだ。

 

誰と誰の組み合わせで舞台に立つか、というところまでは一応決まったが、全体の構成は固まらないまま、5日間の稽古は終了した。

 

舞台稽古1日目「ここは発表の場じゃない。発見の場なの!」

 

7月16日(土)。発表会は午後5時30分から、同じ日経本社ビル内にある日経ホールで行う。参加者は朝10時から、ホールで舞台稽古に臨んだ。

 

前日決まった組み合わせに従い、シーンを展開していく。最初は「朝礼」。

 

「おはようございます……」「はい、それ要らない。朝礼だって分かるから、お客さんは。想像で」といった具合に、参加者が繰り出すセリフを修正していく。

 

暗唱するように流暢にセリフを話す参加者には、「準備したらプロの役者に負けるに決まってる。その場で思いつくのが大事だからね。ここは発表の場じゃない。発見の場なの!」。準備したセリフは、忘れたり、相手が違うことを言ったらもう役に立たない。しかし、その場でセリフを思いつく姿勢ができていれば、たとえ頭の中が真っ白になってもその状況を乗り越えることができる。そこにこそ、「素人の舞台」ならではの面白さが生まれる可能性があるのだ。

 

「あわてない、オタオタしない。これ禁物ね」と森田氏。それは舞台上のことだけではない。本番まで数時間に迫ったまさに今現在の状況にも言えることだ。だから森田氏はいつもどおり軽口をたたく。重役室のシーンを作ろうと男性メンバーを数人選び、その顔ぶれを見て「たいした会社じゃねえなあ」。参加者も大笑い。しかしすぐに緊張した表情に戻る。このメリハリのつけ方は社会人ならではだ。芝居の稽古、という非日常の中で、次第に参加者は日常を取り戻しつつある。目指すところが見えてきた。

 

舞台上のやりとりを見て、あまりできないと判断すればすぐに交代。シーンを取り消すこともある。新たなシーンを追加したり、面白いと感じれば「もっと膨らまそう」と参加者に要求。セリフを思いつくきっかけも提示する。

 

「俺が言ってることにこだわってちゃだめだからね。自分がやるんだよ。でも自分で何とかしなきゃ、と思うのもだめ。周りの声や音が聞こえなくなるから。楽しんでやろう」。相変わらず森田氏の言葉は逆説的だが、もう参加者に混乱はない。言葉をありのままに受け入れている。

 

これまでも再三口にしてきたことだが、舞台稽古では特に「間」を取ることを念入りに伝えた。「そこで黙ることで、本当になるから」。流れるようにセリフを投げかけあうのが芝居だという先入観が、次第に払拭されていく。

 

一通りの組み合わせを試したところで、森田氏が突然後ろを振り向き「イッセーさん、どう?」。

 

すると客席後方から、イッセー尾形氏がつかつかと歩いてきて、森田氏からマイクを受け取った。ざわめく参加者。まさかあの“イッセー尾形”が、自分たちの稽古をずっと見ていたとは思いもしなかったからだ。

 

「初めまして、イッセー尾形です」。メモを見ながらイッセー氏は、いくつか具体的な提案をした。「リストラを言い渡されるシーンがあるけど、あれ、リストラじゃないほうがいいと思います」「兄妹のシーンが3つ続きますけど、3組同時に舞台に出したら面白いんじゃないでしょうか。ジャズのセッションみたいに、あちこちから音が聞こえてくるような」「これだけの人が参加しているのだから、最初に全員を出して、この空気感みたいなものを出してみたらいい」――。

 

聞き入る参加者。思いはそれぞれだが、ここで重要な変化が起きる。イッセー氏のさまざまな提案は、主に演出面のこと。ダメ出し、というわけではないが、森田氏のアイデアが全てではない、ということが明示された。いくら森田氏が「自分で考えろ」と口を酸っぱくして言っても、この稽古の中心にいるのはやはり森田氏であり、ある意味絶対的な存在だった。しかし、イッセー氏がそこに客観的な意見を述べたことで、初めて森田氏の存在が相対化され、参加者たちはこの稽古、そして本番の主役が自分たちであることを明確に認識した。本当の意味で「腹が据わった」瞬間である。

 

短時間の休憩のあと、森田氏はさっそくイッセー氏の提案を実践した。参加者全員を舞台に上げ、全員の顔が見えるように立たせる。森田氏が思いついたのは「記念撮影」だった。

 

シャッターが押される瞬間を待つ数秒間。みなカメラに顔を向けて一様に微笑んでいるが、頭の中では写真以外のことを考えている。それを声にしていく。まるで稽古初日のように「何でもいいから」と次々に話をさせ、響いた言葉をセリフとして採用していく。

 

新しいシーンも加わり、全体の構成はまだ固まっていない。しかし時計は午後1時を回った。この舞台を明け渡さなくてはいけない時刻だ。イッセー尾形氏の一人芝居「わたしの大手町」公演が、ここで午後3時から始まるのだ。

 

短時間の昼食休憩、そして控室に場所を移して稽古再開。ぎゅうぎゅうに人が入った狭い控室の中は、熱気ではなく単純に暑い。ある参加者が訊ねる。「ここ、私どこまで話してていいんですか?」。森田氏が答える。「わかりません。いいと思ったら続ければいいし、だめだと思ったらやめればいい」。

 

まだ固まっていないシーンを中心に稽古が続く。上司に結婚を報告するシーンの登場人物が前に出ると「ああ、ここはもうできてるからいいよ」。ほっとして席に戻ろうとする参加者に「そうだ、旦那が死んだ話を入れてくれる?」と森田氏。もう稽古するタイミングはないので、自分たちで何とかするしかない。

 

締めくくりのシーンもできた。最初の「記念撮影」と同じように並び、全員で社是、そして安全標語を唱えるというもの。リード役は、2日目の「朝礼」という課題でこの社是を述べた参加者だった。実は森田氏の提案は「社是」だけだったが、他の参加者が「安全唱和までやったほうがいい」と意見し、全員で「指差し確認」のポーズを決めよう、ということになった。

 

この本番前の稽古では、森田氏が何度となく「セリフ作ってないの? だめだよ」「段取りよく話し合っておいてね」と、これまでとは真逆の指示を出していた。だがセリフを作るのも、段取りを確認するのも、その通りに舞台を進行させるためのものではない。「忘れるための準備」だという。大勢の観客が見守る舞台の上で、森田氏の言う「発見」をする境地まで自分を持っていくためにはそれなりの準備が必要、という意味である。ぎりぎりまでこれを言わなかったのは、「準備をしないこと」のほうが「準備をすること」よりも社会人にはずっと困難だと森田氏が考えたからかもしれない。実際、準備せよと言われた後の参加者の動きは早かった。シーンごとに集まり、てきぱきと課題を洗い出し、話し合いを進めていく。社会人としての「得意技」がいかんなく発揮された光景だった。

 

稽古終了は午後4時30分。本番開始のちょうど1時間前である。

 

発表会本番 1日目「これは芝居だと思わず、ドキュメンタリーだと思ってください」

 

参加者が再び日経ホールの舞台に上がったのは午後4時50分。全体の進行と、いくつか稽古不足のシーンを最終確認だけしてスタンバイ。5時15分になると観客が入場してくる。その数は100人を超えた。

 

まず森田氏が軽く来場者にあいさつする。

 

「演技なんてしたこともない人が、たった5日、それも会社帰りの稽古だけで芝居するなんて、普通に考えたら嫌でしょう。『演出家』なんて怖い人にいろいろキツいこと言われるだろうし。それなのに、このワークショップの案内を日経の電子版に掲載したら、130人も応募者がありました。毎日忙しいのに、なぜみんな参加したのか。会社で十分苦労しているのに、なぜこんないらん苦労をしに来たのか。ちょっとした好奇心ぐらいで、さしたる理由はないと思います。

 

それは見に来たみなさんも同じでしょう。世の中に面白いものはいっぱいあるのに、この面白くない舞台を……いや、本当に面白くないですよ(笑)。それをなぜ見に来たのか。人間には、不思議な動機があるものです。そこが、人間を信じられるところだと思います。

 

これは、芝居だと思わず、ある意味ドキュメンタリーだと思ってください。舞台に出る人は選んでません。ワークショップに参加した人は全部出ています。もう十分じゃないですか、選ばれたり選ばれなかったりするのは会社の中だけで。だから『この人は上手じゃないなあ』と思うことも多いと思います。

 

と、これだけ言っておけば温かい目で見てくださるかな(笑)」。

 

5時30分。森田氏が下がり、参加者は「記念撮影」の位置につく。このあと暗転、そして明るくなってからセリフ、のはずだったが、その段取りがうまく伝わっていなかったのか、舞台上の参加者はフライングして話し始めてしまった。一度止めて、改めてスタート。このやりとりを見て、観客もこれから何を見ることになるのか覚悟を決めた。

 

まずは順調に進んでいく。しかし、稽古場で笑いが起きた場面でも、なかなか観客は笑わない。参加者の緊張が客席に伝わり、会場全体の空気が張り詰めてしまっていた。

 

最初に笑いが起きたのが、朝礼でマネージャークラスと思しき女性社員が業務連絡を伝えるシーン。貨物の入庫状況をあくまで事務的な口調で淡々と報告する中で、実は手違いがあったことをさりげなく話した時だった。これは会社で言いにくいことを言う時に使う常套手段である。会社でよく見かける光景がデフォルメされ、しかも本当の会社員によって演じられている。そこに笑いが起きた。

 

途中、冷や冷やする場面も数多くあったが、何とか最後のシーンまでたどり着く。ここは兄妹のやりとりで、仕事にやりがいも持たず、家庭も持とうとしない妹を兄が気遣う、というくだり。会話と会話との間に長い時間が流れ、そこで観客はこの兄妹が過ごした日々、その苦労や楽しさを想像し、舞台と客席の間に一体感が生まれた。

 

そしてエンディングの社是・安全標語の唱和。「ゼロ災で行こう――よし!」と全員でポーズを決めた瞬間、大きな拍手が起きた。上演時間はちょうど1時間ほどだった。

 

まだ観客が会場を出ないうちに、森田氏が登場し、その舞台の総括すなわちダメ出しを始める。観客に、ダメ出しまで公開しようというのだ。あくまでドキュメンタリーとして見てもらい、このワークショップが何であるのかを理解してもらうのに、これ以上の手段はない。

 

本番を終えたものの、参加者の表情は硬い。森田氏の最初の言葉は「なかなかスリリングだったね」。これに苦笑する参加者。演出家も出演者も「できなかった」という思いを共有していたのだ。ここで森田氏が指摘したのは、やはり「間」の取り方だった。

 

「最後の組が奇跡的にうまくいったでしょう。あれは間を取ったから。もう恐ろしいぐらい間があったじゃない。その前の組も、かなり間を取ろうとしていたみたいだけど、ぜんぜん足りない。間が空いても、そこをお客さんの方でつないでくれるんだよね。間がもたない、と思って無理にセリフにならない声で会話を始めてしまうと、もう見るに耐えないものになる」。

 

そして各シーンごとに丁寧に意見を述べていく。できなかった、という意識はすでに参加者の中にある。何が、どうできなかったのかを森田氏の言葉で確認し、納得の表情を浮かべる。一度舞台に立ったことで、これまで以上に理解できているようだ。

 

イッセー尾形氏も感想を述べる。「いやあ、面白かったです。集合写真、すごかったね。これがみんな違う会社の人たちだ、と思うと、もっとすごく感じる。あと驚いたのが、部下が突然会社を辞めて『庭師になる』と言われた上司。当然驚くところ、『庭師かあ……』と納得してしまった。これでシチュエーションが終わっちゃうのね。どのネタでも、シチュエーションからすべり落ちる何かがある。すべって、それを戻す、ということも大事だし、どんどんすべってく中で重しの効く存在が見えてくることもある」。イッセー氏は、うまくいかなかったところも含めて面白いと感じたようだが、これを聞いた参加者のまなざしに「明日はシチュエーションからすべり落ちない芝居にしよう」という決意がうかがえる。

 

初日が終わると、「飲みに行こう」などと不埒な発言をする人もおらず、みな足早に会場を後にした。前日の夜より、その表情は厳しいように見えた。前日は漠然とした不安だったが、今日は解決すべき課題がはっきりした。その課題を明日までに解決してみせるという顔。それはまさしく社会人の顔だった。

 

発表会本番 2日目「お前たち、一寸法師知ってるか?」「母さん、今日はテンション低いねえ」

 

2日目の朝。前日の帰宅時、硬かった参加者の表情も、どこか晴ればれとしたものに変わっている。一夜で気持ちを切り替える。これも社会人に必要なスキルだ。

 

森田氏はこの日「仮面」の話をした。「あなた方は、常に会社や肩書きといった仮面のもとでコミュニケーションしている。そのコミュニケーションは、社会的背景が異なる人には理解できません。昨日の最後の兄妹の会話。フリーターの人には、ただの雑談にしか見えないと思うけど、あなた方の目には豊かなコミュニケーションに映るはず。仮面の世界の豊かさっていうのかな。今日は社会人以外には分からないような、そんな芝居にしようね」。

 

2日目ではあるが、昨日と同じものをやる考えはない。前日あまり出番がなかった、という人の自己申告を受け、新たなシーンを加えていく。既にあるシーンも、設定を変えていく。さらに、前日は舞台に立ったが、この日は都合が悪くて欠席、という人のシーンも作り変えなければいけない。

 

結局この日の稽古は前日よりさらに濃密なものとなり、昼食の時間がなくなった森田氏はサンドイッチをかじりながらシーン作りに取り組み、参加者も弁当をつまみながらその話に耳を傾けた。会場のあちこちで、各シーンごとの入念な打ち合わせも行われている。すべてのことが同時並行で進んでいく慌しい状況だが、参加者たちは難なく受け止めている。会社で働く人にとって、これはよくある情景だからだ。

 

設定が変更になり、セリフが出てこなくなった参加者が「すっかり変わってしまって……」と弱音を吐くと「知らねえよ。昨日の出来が良くなかったからだよ!」と森田氏が軽口を叩き、他の参加者がこれに笑って反応する。緊張感を保ちながら、少しずつ余裕も出てきた。

 

開演時間が迫っても、まだ森田氏は手を加えようと「このシーンとこのシーン、重ねちゃおうか?」とつぶやいたが、開場5分前と聞いて「今から変更、やだよね」と撤回した。森田氏もかなり前のめりになっている。それを見た参加者がさらに気持ちを高めていく。「うん、もうあきらめよう」と言った森田氏の顔は、笑顔だった。

 

前日と同様、森田氏の軽いあいさつの後、ワークショップ「イッセー尾形と働く人々」の最後の発表が始まった。

 

記念撮影

 

位置についたその瞬間、「業務連絡です。順番予定どおりで」と演出助手的な役割を務めていた柏村武志さんの声が飛んだ。実は、開幕直前にあるハプニングが発生していたのだ。しかしもう舞台は始まりかかっている。細かい指示を伝えることはできない。だがこの一言だけで、参加者は柏村さんが伝えたかったことを理解した。

 

最初のシーンは、どこかの職場の何かの記念撮影。シャッターを待つ間、数人が思い思いのセリフを口にしていく。「僕の仕事は、謝ることなんだよなあ」「撮りますよ。笑って笑って!」「山田! おまえ、まだ宴会の段取り分からないのか!」「実践用語の練習を行いまーす」……話す人以外は、カメラに向かって笑顔を作り続ける。それがこのシーンのルールだ。そして最後は全員でポーズ。カメラなど小道具は用意されていないが、観客の耳にはシャッター音が聞こえるかのようだ。舞台暗転。

 

この暗転がシーンの終わりを示す記号になっているが、どこで暗転するか、明確に決まっていないシーンもある。この場合、暗転しなければ舞台上の参加者はずっとセリフを出し続けなくてはならない。逆に、思わぬところで暗転してしまうこともある。森田氏がどこで暗転のサインを出すか。それは演出家にとって、この芝居に最後に添える一味だ。

 

朝の風景

 

無言でパソコンに向かう5人の女性。男性の上司がその後ろから「今週は事務ミスを減らそう」と訴えかけるが、誰もそちらを向こうとはしない。男性が下がると、女性たちの会話が始まる。話題や、口ぐせにそれぞれの個性がにじみ出る。ある女性の口ぐせは、言葉の最初に「ごめんね」とつけることらしい。3回目の「ごめんね」で、会場から笑いが漏れた。

 

別の男性が登場。来週は常務が職場に来るから数字をまとめておくように、と業務連絡。だがその後の懇親会の段取り、さらにはそこでの話題にまで注意が及ぶと、会場が大きな笑いに包まれた。

 

今度は女性の上司が登場。荷出し、検品の段取りをてきぱきと指示していくが、想定外の事態への対応や、腰痛バンドを用意していること、荷出しの最中は節電のためオフィスの電灯を消すので、やむを得ずデスクワークをする場合は小型LEDライトを利用することなど、どんどん細かくなっていく指示に、いったいどこまで指示するのだろう、と観客が引き込まれていく。

 

さらに年配の男性が出てきて、社長を褒め称え、会社への忠誠を誓い、聞いているのか聞いていないのか分からない5人の女性を尻目に一人で盛り上がって、このシーンは幕。

 

喫煙室

 

男性4人がタバコを吸いながら「分からないもの」について語っている。最初は、前のシーンの女性たちの会話を受け「女性の気持ちが分からない」という所から始まるが、話が広がりレストランのこと、デパートのこと、エスカレーターのこと、と次々に「分からないもの」が挙げられていく。そして次第に会議室、上司の小言など、仕事の話題に収斂していく。ひとつひとつ、観客の笑い声の大小が異なるのを感じながら、参加者も大喜利を楽しむように次々とネタを披露していく。

 

分からない会議

 

舞台上に2つのグループがいる。ひとつは難解な専門用語満載で語る部下の話に、あいまいな相槌でごまかす上司。もうひとつは、3人に英語でやりこめられる、英語の苦手な社員。途中から専門用語のグループが英語の会話に割って入り、収集がつかなくなった状況を、英語の苦手な社員が日本語で納める、というシーンだ。

 

英語の分からない社員が、分かる英単語だけをオウム返ししたり、唐突に「グレイト!」と見当違いな返答をしたり、その必死な様子がおかしさを醸し出す。似たような状況に立たされたことがある人は、共感しながら笑っている。暗転した瞬間、拍手が起きた。

 

ジュニア

 

若い二代目社長に、ベテラン男性社員が叱られている。がみがみと怒る社長に対し、ベテランはただ謝るばかり。それを聞いていた女性社員が、若社長をたしなめる。

 

このシーン、前日は社長役こそ同じだが、もっと若い社員を叱る設定だった。何を言っても生返事を繰り返す社員に業を煮やし、社長の怒りはどんどんヒートアップしていく。だがそこまで怒るのはリアリティーに欠ける、と判断した森田氏が、設定を大きく変えたのだ。社長役の参加者にも「言葉は荒くせずに、声だけ大きくして叱るように」と指示した。

 

この結果、やや殺伐としていた前日のシーンとは雰囲気ががらりと変わった。虚勢を張って無理にベテランを叱ろうとする若社長、先代への敬意を胸に、理不尽と思いつつ若社長に尽くそうとするベテラン社員、そして子供の頃から若社長を見てきて、立派になってほしいと願う女性社員。それぞれの思いは今一つかみ合わないが、みな会社に愛着を持っていることだけは強く感じる。家庭的な雰囲気を残す中小企業、というややノスタルジックな光景が、観客の目の前にありありと浮かんだ。

 

会社辞めます

 

突然会社を辞めると言い出したOLを止めようとする、同僚と上司。「占いで庭師になれと言われたので」と突拍子もないことを言い出すOLに対し、なんとか説得しようとする上司だが、途中から同僚との結婚を勧める、という展開だ。

 

前日も同じ組み合わせで同じ設定だったが、やや盛り上がらないまま終わった。そこで森田氏は上司役の男性に対し、彼が4日目の稽古で、部下に説教している最中、唐突に浦島太郎の話をしたことを思い出すようアドバイスした。その稽古で森田氏は「ここで大事なのは、言いたいことを直接言わずに、もって回った喩え話をしているという点と、聞いている側は一体この話どこへ行くんだろう、と不安になる点」と解説していた。この日はそこまで詳しいことは言わず、またどのように昔話を取り入れるかも指示しなかった。

 

だが舞台に立った3人は森田氏のアドバイスを完璧に理解しており、最高の形で芝居に組み入れた。翻意を促す中で、突然始まる昔話。観客の気持ちを代弁するかのように、OLと同僚がひどく不安な顔をする。強引に浦島太郎と会社とを結びつけた瞬間、会場はどっと沸いた。そして結婚を勧めるくだりで、今度は桃太郎の話をしだす。さらには、新婚旅行の話題で盛り上がっている2人に「お前たち、一寸法師って知ってるか?」。爆笑のうちに暗転した。

 

夜景

 

この日、新たに加えられたシーン。夜景のきれいなホテルのバー、といういかにもな設定で、不倫関係に憧れながらも、いまひとつ踏み切れずにいるカップルが描き出された。

 

昼間の稽古で「いかにも歯の浮くようなセリフを」と森田氏が注文したが、そう簡単には出てこない。そこで「じゃあ、みんなで考えようか」。参加者全員が面白がって作ったセリフは「夜景がきれいだね。でも君の笑顔のほうがもっときれいだよ」「あっ流れ星。願い事しなきゃ」「君の瞳に、僕が映っているね」……。

 

むずがゆくなるようなセリフの連続に、会場の笑いも絶えない。同時に、この2人からは不思議なリアリティーが感じられた。不倫に限らず、恋愛関係というのはなろうと思ってなれるものではない。頑張ってホテルのバーを予約したり、歯の浮くセリフを並べたりしている時点で、このカップルが世の中の大多数を占める、恋愛の苦手な人たちであることがよく分かるからだ。だから観客も、2人のぎこちなさにどこか共感しながら大笑いできる。

 

盛り上がらない2人

 

これも追加部分。前のシーンとセットになって、ほとんどの人は恋愛が苦手である、ということを証明するのがこの場面だ。今度はどうやら2人とも独身、そして同じ会社のカップル。テレビドラマなら普通に会話がはずむところだが、これがちっとも盛り上がらず、すぐに黙り込んでしまう。男性は懸命に話題を探すものの、当たり障りのない、組合のイベントの話ぐらいしか思いつかない。つい、仕事の話をしてしまうと急に会話が回り出すが、これは違うな、と思って話題を変えようとする。するとまた続かない。2人に向けられる観客のまなざしは、限りなく優しいものになっていった。

 

男性側を演じた参加者は、稽古、そして前日の本番と、専門用語を話すシーンで活躍していた。そのため、仕事の話をしているような感覚があったのか、比較的リラックスした雰囲気で舞台に臨んでいた。だが、この日の昼間、森田氏に突然「仕事に関係ない話を」と言われ、やや戸惑いながらも「この前、野球見に行ったんですよ」と話し始めた。それが、この場面につながった。

 

結婚します

 

ここは前日の舞台でも、この日の稽古でも、ずっと「男女2人が女性上司に結婚を報告する」シーンだった。ところが、花婿となるべき男性の姿が舞台上にない。比較的早い段階でこの役が決まり、この場面の軸をなしていた男性参加者が、本番直前10分ほど前に急に体調が悪くなり、帰宅してしまったのだ。

 

突然のハプニングに、残された2人の女性参加者は迷うことなく「2人だけでやる」と即断した。単純に男性のセリフを抜いただけでは芝居として成立しない。成立させるためには、設定から大きく変える必要がある。それを、練習なし、打ち合わせなしのぶっつけ本番でやってのけようというのである。

 

森田氏はこれにOKを出した。「発表の場ではなく発見の場」「段取りや準備の通りにはいかない。それをどう乗り越えるかが重要」と言い続けてきた以上、2人の申し出を断ることはできない。ここで試されるのは、舞台上の2人だけではなく、6日間、このワークショップを指導してきた森田氏自身でもあった。

 

結果は、大成功だった。

 

女性たちは、まず設定を上司と部下、ではなく先輩と後輩、に変えた。前日は社内の会議室など、ややオフィシャルな場での口調だったが、これもややカジュアルな話しぶりにした。

 

このシーンのクライマックスは、夫となる男性の自慢話の中で、「彼、ギターが得意なんですよ。私が帰ると……」と、男性をこづいてその場で歌わせる場面だ。すると、上司は既に他界した自分の夫が好きだった歌をそこにかぶせていく、というやや切ない展開で終わる。

 

ここを、結婚する女性が自慢話はそのままに、自分自身で歌う形にした。だが、男性に歌わせる予定だった歌が、女性2人の場面にはそぐわないと感じたのか、前日とは別の歌を歌い始めた。それを受けて歌う先輩の歌も、昨日とは違っていた。2曲とも、その場の雰囲気にぴたりとはまっていた。

 

前日の発表を見ていなければ、これがもともと3人の芝居だったとは誰も気づかないほどの出来栄えに、事情を知る関係者も舌を巻いた。予想外の事態にも慌てず、しかも無理をせず、あくまで稽古の中で見つけた自分の言葉をたっぷりと間を置いて繰り出し、自分の中にあった歌で芝居を締めくくった。ある意味で、このワークショップの集大成を見せたともいえる。

 

おとうさん!

 

昼間、自分の中に新しいキャラクターを発見した参加者がいた。それを受けて追加されたのがこのシーン。ぽんぽん小言を言う妻と、何を言っても暖簾に腕押しの夫。2人の朝の情景だ。

 

稽古で「これ、地のままなんです」と言った参加者に、森田氏は「うん、それは地のように見えるけど、実は仮面だね。決して、生まれ持った性格じゃない。あくまで、会社勤めとか社会生活の中で獲得した仮面。もしそれが地だったら、逆に会社勤めする意味がない、ってことに気付いてほしい」と評した。

 

この指摘が正鵠を射ていたことは、本番で明らかになった。舞台上で、稽古の時のようにテンポよく小言が出てこない。仮面をかぶることで自分を出しやすくなるが、壊れやすいのも仮面の特質だ。一度しか稽古せずに舞台に上がったこともあって、仮面が十分に機能しなかったのだ。

 

ここで、夫役の参加者が一言。「母さん、今日はテンション低いねえ」。

 

この一言で、攻める側と受ける側の立場が逆転。妻は変わらず小言を言い続けるが、夫はその様子を楽しんでおり、もっと怒らせようと要らぬことを口にする、という光景に変わった。この男性は稽古でずっと実直さ、不器用さを出しており、森田氏から「公務員」と呼ばれていた。こちらは舞台上に立って初めて「地」の部分をのぞかせたのだった。

 

突然の攻守交代に、会話は全くかみ合わないまま進行するが、そもそも家庭内の夫婦の会話など、かみあっているほうが稀だ。ここでも、巧まざるリアリティーが出現した。

 

セクハラ? パワハラ?

 

若い男性社員と先輩の女性社員が、営業車の中で繰り広げる会話。これも新しいシーン。

 

女性社員がずけずけと後輩にプライベートなことを尋ね、時にボディタッチに及ぶ。一見すれば明らかにセクハラ、パワハラだが、なぜかそう感じられない。女性社員に悪意のないことが伝わってくるからだ。もし、いわゆる「演技」をしていたら、もっといやらしい感じの場面になったのかもしれない。だがあくまで自分の言葉で話すことを1週間訓練してきたことで、その人自身の性格が、説明しなくても芝居の中ににじみ出ていた。

 

同時に、セクハラやパワハラは本人に悪意がなくても起こり得る、という怖さをも感じさせる。舞台が進むにつれ、出演者を通じて自分に目を向けつつある観客の中には、このシーンに接してはっとした人もいたかもしれない。

 

渋滞ですね

 

さらに新しいシーンが続く。やはり営業車の中で、男性社員、女性社員、そして入社間もない新人の3人による会話だ。先輩2人は、無理に会話に入ろうとしたり、気にしていることをそのまま口にするこの新人が苦手。車内という密室で、しかも渋滞に巻き込まれ、何とも気まずい時間を過ごしている。

 

この新人役に指名されたのは、背が高く、長髪の男性。その物腰に、一般的なサラリーマン像とは異なる雰囲気を感じた森田氏は、ずっと彼を「フリーター」と呼んでいた。このように、森田氏が「あなた○○だね」などと、その人の経歴や職業を言ってのける光景は稽古期間中しばしば見られた。それは高い確率で的中するのだが、当たっているかどうかは問題ではない。人の動作や表情、話し方から、その人が社会的にどのような生活をしているのか推測できる、ということを森田氏が身をもって示しているのだ。これを見た参加者は、自分がどのように見えているのかにも考えが及ぶようになる。

 

昼間の稽古では、疎んじられている新人、という難しい役どころに、なかなか演者と演出家の呼吸が合わなかった。指示の中で森田氏が「フリーター」という言葉を出したとき、「自分はフリーターの経験はありません」と言い返す場面もあった。初日は森田氏の手法にただただ圧倒されていただけの参加者たちだったが、最終日には「もっと出番がほしい」「こんなキャラクターをやってみたい」と積極的な発言をする人も増えてくる。意識面での変化は著しいものがあった。

 

本番では、気まずい空気を何とかしようと無用に明るく自慢話をする男性、セクハラされた話を打ち明けて空気をより暗くしてしまう女性、そしてその場の空気を破壊し続ける新人、3者3様の存在感が際立つ印象的なシーンとなった。

 

残された社員たち

 

OLらしき4人と、年配の男性社員1人が舞台に登場。前日の舞台では、ここはリストラを免れた女性5人のシーンだった。しかしそのうちの1人が本日は都合で来られなくなり、昼間の稽古で構成を急遽作り直した。ここではみな、顔や口調をあえて作り、仮面のもとで芝居をする。話しているうちに、その仮面が厚みを増してきて、何を言っているのかだんだん分からなくなってしまう。言葉の内容は意味不明でも、その口調や表情から、OLの会話であることははっきりと分かる、というのがこのシーンのポイントだ。

 

実は、同じ舞台でこの発表会の直前に行われたイッセー尾形氏の一人芝居の中に、似たような場面があった。いかにも昭和の政治家、という口調でイッセー氏が演説をしているが、その内容は最後まで全く分からずに終わる、というもの。彼がこのワークショップを「イッセー尾形を作り上げた過程そのもの」と言うように、森田氏は30年のキャリアがある俳優と同じことを、全くの素人に体験させているのだ。

 

リストラ宣告・改

 

リストラを宣告する上司と、リストラされる部下。このシーンは前日まで、宣告する上司がその立場のつらさに泣き出し、いたたまれなくなった部下が思わず受け入れてしまうという流れだった。

 

稽古の中で、比較的早い段階で固まったシーンであり、2人の芝居も安定している。安定しすぎてつまらないと感じたのか、あるいは上司役の男性が不倫の演技で新しい境地を開いたと見たか、森田氏は最終日になってここにアレンジを加えた。

 

最初、お互いに会社に対する不満をぶちまけるくだりから始まるのは昨日までと同じ。しかし、これは上司の策略だった。会社の悪口をさんざん言わせた上で「そんな会社だから、やめてもいいよね」と説得にかかるのである。慌ててリストラ受け入れを拒否するものの、上司は泣くばかりで答えてくれない――。

 

実は、上司役の芝居は、会社への不満を述べる、そして泣く、というほとんど前日と同じものだ。しかし、その受け手側がセリフと演技を変えることで、この上司の人柄が180度違って見えてくる。

 

昼間の稽古では最後に、この上司がふと泣きやんで「抵抗しても、こちらは強制的に解雇できるんだよ」と言い放つ場面も用意していた。しかし、そこまでやらなくても、上司の悪辣さはもう明らかになっている。だから森田氏は、そのやりとりに入る前に舞台暗転のサインを出した。

 

兄妹1

 

ここから、異なる3組の兄妹の会話が続く。1組目は、子供の頃の思い出話をしながら、それぞれが現在置かれている辛い状況を話し始めるという2人。

 

セリフはほとんど前日と変わらないが、昼間、森田氏は2人の心情についてもう少し細かく考えてみよう、と提案した。兄は自分の会社が会社更生法を申請したことで、金銭的に危機を迎えている。しかし、金を貸してくれと妹になかなか言えない。妹は、兄の気持ちを知りながら、家庭の問題を抱えていてそれに応えられない。とはいえ、はっきりと拒否することもできない。さらにこの妹の気持ちに気付き、何か勇気づける言葉をかけたいが、それが出てこない兄。この2人は、何かを言い出せない時に、思い出話でコミュニケーションを取っているのではないか。

 

もちろん、舞台の上でこれを説明するわけではない。しかし、演じる2人の中に刻み込まれたこうした心の動きは、前日よりぐっと長く間を取ったことで、観客に十分すぎるほど伝わった。会社更生法を切り出す前も、妹の家庭の悩みを聞いた後も、兄は同じように他愛ない昔話をしている。だがその裏にある気持ちは全く違う。その違いがくっきりと観客にも見えたのだ。会場の空気はぴんと張り詰め、咳払いひとつ聞こえなくなった。2人は最後に、小学校の校歌を歌う。どこにでもあるような、よくある旋律と歌詞。しかしそれが言いつくせない2人の心情を饒舌に物語る。みずみずしい感動が流れた。

 

兄妹2

 

2組目は、いつも肝心なところで逃げ出してしまう何とも頼りない兄を、しっかり者の妹が叱る、というシーンだ。兄役は比較的高齢の参加者。ひょうひょうとした語り口が魅力的で、稽古期間中も、彼がセリフを話すと不思議に場の空気が和んだ。一方、妹役の女性はばりばりと仕事をこなすキャリアウーマンのキャラクターを得意とし、強い存在感を発揮していた。

 

前日まで、この2人のやりとりの最も重要なポイントは、兄の息子、妹にとっては甥が、がんのために生命の危機に瀕するというくだりだった。初日に「プカプカ」を歌ったのはこの兄役の男性であり、この時「甥のがん」というエピソードが生みだされた。以来、その設定は守られ続けたが、最終日になって森田氏はそこをカットする決断をした。

 

子供ががんになる、という、あまりにも深刻な展開が観客の注意を奪ってしまい、男性のひょうひょうとしたキャラクターが生きなくなる、と判断したのだろうか。真意は定かではないが、結果的にこの変更によって、兄の頼りない部分は劇的に強調されることになった。そして、あまりにもダメな人に対して、周りの人は優しくなることができる。観客は、次第に「この男性を許してあげよう」という気持ちで見守り始めた。

 

このシーンは、妹に問い詰められた兄が呑気に歌い出した歌を、妹もつい一緒に歌ってしまう、というところで終わる。妹が、兄を許した瞬間だ。舞台上の登場人物と、観客とが強い共感で結ばれた。

 

兄妹3

 

前日「最もうまくいった」と評された組み合わせ。1組目、2組目とも手ごたえのある芝居になったことに影響されてか、前日よりさらに豊かな想像を、観客の心の中に投げかけた。2人が醸し出す、どこか温かな悲しさが会場中に広がっていく。

 

この2人の会話は、思い出話から始まるところは1組目と似ている。だが、特に深刻な話は出てこない。妹が、妻子ある男性のことに言及したことで兄が心配するくだりはあるが、妹はただ笑って真相を話そうとしないため、兄が勝手に決めつけて心配しているようにも見える。最後までドラマチックな展開にはならないのだ。兄妹3組の中だけではなく、この発表会の全体を通してみても、実はここが最も「何も起こらない」シーンになっている。

 

その何も起こらないシーンを、最後に持ってくることを提案したのは前回のワークショップに参加し、今回は演出の補佐的な役割を買って出た柏村さんだった。面白くもなんともない、記憶にすら残らないような日常の会話。それが普通に社会で生活している人のリアルそのものだ。無理に演技をするのではなく、その面白くない日常を舞台の上で見せようというワークショップの掉尾を飾るのに、これ以上ふさわしいものはなかった。

 

ゼロ災で行こう!

 

3組目の兄妹が芝居を終えるのにかぶせて、参加者全員が、最初の「記念撮影」と同じように立ち並ぶ。社是、そして安全標語の唱和。このラストシーンは、イッセー尾形氏の「全員を舞台に出してみては」というアイデアを受け、森田氏がこれを最初と最後に行うという構成を考え、「社是だけでなく安全標語もやったらいい」と参加者が意見を出し合ってできたものだ。

 

同じ会社に働いていても、「会社員」とひとくくりにされても、誰ひとり同じ人間はいない。姿形も違うし、考えることも、たどってきた人生も、全員違う。でも、社会人として働く以上、みな同じ方向を向いて生きていかなくてはいけない。それはストレスを感じることでもあるが、どのみちそうしなくてはいけないのなら、せめて大きな声を出して、元気よく歩いていこう――ありきたりの社是を唱和する参加者たちの姿から、さまざまなことを観客は想像する。

 

安全標語「ゼロ災で行こう――よし!」と声を揃えた時、参加者はみな笑顔だった。記念写真でもないのに、自然に笑顔が浮かんだ。その笑顔は社会人の知恵でもあり、厳しい社会生活における救いでもある。森田氏が初日に言った「地図のない旅」で、社会人たちが行きついたのは、やはり社会人の顔だった。

 

舞台を終えて「このワークショップを通じ、驚いたのはみなさんの豊かさ」

 

この日の発表会は1時間50分ほどに及んだ。前日の倍近い長さだ。新しいシーンが加わったこともあるが、それだけ「間」を取っていたことの証しでもある。

 

終了後、マイクを持った森田氏は「これ5日の稽古で作ったんだよ。すごいと思わない?」と満足そうな表情を浮かべた。つい「昨日は『コノヤロー』って思ったけどね」と本音も飛び出すほど、この日の出来栄えに手ごたえを感じたようだ。

 

「このワークショップを通じ、驚いたのはみなさんの豊かさ。会社で働く人たちはさまざまな仮面をつけて仕事をしている。われわれ演劇人はそれをつまらないこと、と見てしまいがちですが、いろんなものを守るために仮面を獲得したのだということを実感しました」と感想を述べた。

 

そして各シーンごとに、参加者たちが初めて「自己紹介」をしていく。セリフの中から何となく想像していた仕事をしている人もいれば、意外な職業の人もいる。その度に納得の声、驚きの声が上がった。

 

様々なエピソードも明かされる。最初のセリフ「僕の仕事は、謝ることなんだよね」を担当した参加者は「実は金曜日に仕事でトラブルが発生した。明日、地方に飛んで怒られてきます」と一言。芝居の中で渋滞にはまった自動車を運転していたのが、自動車関連商社の社員だったりもした。いつも逃げ出してばかりの頼りない兄を演じていたのは、大手企業に勤め、子会社の社長経験もある人物。「今年還暦を迎えたので、記念に参加した。あと5年は働きたい」と力強く語った。

 

大きな歓声が上がったのは、英語を話す数人に取り囲まれ、大汗かきながら日本語でその場を収めようとしていた人が、実は外資系の通信会社勤務で、先日ロンドンから帰国したばかりだと明らかにした時。社員の3分の1は外国人だという。英語ができない設定なので、稽古から本番まで、決してその「仮面」を崩さずにいたのだった。

 

イッセー尾形氏は「昨日は皆さんの芝居に清潔感、清らかさを感じたけど、今日強く感じたのはすがすがしさ。自分の首を潔く差し出す覚悟でした。おそらく皆さんは、あまり仕事でへまをしない人たちなんでしょう。そういう人が次に何をしようかと考えて、生涯で初めて『自分にへまをしてみよう』と思い当たり、全国から集まってこの舞台になった。その覚悟は、みなさんの中の、とっても深いところから湧き出るものだと思います」と講評した。新ネタもひとつ思いついたという。

 

全てが終わり、参加者たちは三々五々会場を後にした。打ち上げの企画が立ちあがり、参加した人も多かったが、さっそく仕事に向かった人もいる。達成感に浸ったり、感涙にむせぶような姿はあまり見られなかった。彼らはあくまで社会人だ。ドラマや映画ならいざ知らず、現実の会社員は仕事をこなす度に感慨にふけるようなことはない。

 

会場を去ろうとする森田氏はこう語った。「人間って、やっぱり社会的な動物なんだね。本性はぐっと押し込められて、機能的な存在になっている。社会的な苦労や、努力を重ねることで、もともとの存在からいかに遠く離れているか。そこを発見して、いたわってあげよう、という会になったと思います」。

 

社会的であることを否定するのではない。本質的な部分との距離感を見極めたうえで、そのままに受け止めること。これがこのワークショップの成果だった。では、それによって何が生まれるのか。頑張って仕事をするパワーになるのか、あるいは新しい何かに挑戦する勇気になるのか。しかしその質問に、森田氏は笑って答えなかった。それは各自が考えることであり、何の役に立たなくても、それはそれでいいのだろう。

 

打ち上げに参加することもなく「疲れたよ。胃が痛い」と言い残して家路についた演出家。彼もまた、ひとりの社会人に他ならなかった。(2011年8月3日・I)